小さいことをいちいち気にするくらいなら、小さな幸せにアンテナを張ろうよ
たま〜にあるんだ。すごくやるせない気持ちになること。
なんて言うか、人ってマイナスなことのほうが頭に残りやすいから、すごく小さなことでもいちいち気にしちゃうんだよね。引きずっちゃうんだ。
でもさ、思うんだけど小さな幸せって拾えていないだけで、実は小さなイライラや嫌なことと同じくらい、幸せは身の回りに生まれているんだって思っていて。これ本心ね。
もう一度言うけど、幸せを拾えていないだけなんだよね。
「小さな幸せ」っていつの間にか"当たり前"に変わっていて、もう当たり前だから流しちゃってることが多いんだと思うんです。でも嫌なことって、どんなに小さなことでも胸につっかえちゃう。
自分が楽観的で、あまり細かいことを気にしないタイプだから尚更なのかな。小さいことばかり気にする人を見て、もっと良いとこ探しに精を出せばいいのに。もったいないなーって毎回のように思うわけです。
「小さいことをいちいち気にするヒマがあったら、もっと小さな幸せにアンテナ張れよ」って。
愚痴や批判は共感を呼びやすいよな
いや、まぁ確かに気持ちはわかる。愚痴ってさ、共感しやすいし共感を得やすいんだよ。
不満がゼロな人より、大なり小なり不満を持ってる人のほうが圧倒的に多いもん。そんなの当たり前で、それを誰かが代表して愚痴ったらさ、周りはそりゃ共感しやすいわけです。
例えば身近なところで言うとさ、「仕事ほんとだりぃーよな」とか「マジで眠いんだけど」「疲れたぁぁああ」っていう言葉。こんなの大多数の人が当てはまるじゃん。
少なからず誰だって仕事がだるいときだってある。気が乗らないこともありますって。疲れますって。
そりゃもう共感をもらえますよ。「わかる〜疲れるよね〜」の会話成立するでしょ。
でも、その共感をもらって、この会話のサークルから何が生まれるの?って思うわけですよ。
そんな負のオーラ全開の会話で、話している当事者同士はもしかしたらいい感じにガス抜きができているのかもしれないけど、その会話からなにか出来事が好転する瞬間に出会ったことがない。とても物事が好転するとは思えない。
人はやっかいなことに嫌なことのほうが頭に残りやすい
やっぱり人はちょっとでも嫌なことがあったら、それが尾を引いちゃうものなんだよね。
たいして親しくもない人にさえ、ちょっと冷たくされただけで「なんかいつもと態度違う」と気にしちゃったりする。
もしかしたら、その人はたまたま忙しくて余裕がなかっただけかもしれない。たいして親しくないから全然どうでもいいのに、でも気にしちゃう人っているんだよね。
ただ、こうした小さなことひとつひとつ気にしたところで自分の人生に影響なくない?あります?
むしろ引きずったり、嫌な態度を取られた仕返し的なやり方で陰口を叩いたり、わざと態度で当たりを強くしたり…。「目には目を」ではキリがないし、誰もすっきりしないと思うだよね。
この労力、体力。もっとプラスなことに使おうよって思う。
もっとその辺に転がっている小さな幸せに目をやろうよ。「そんなもんない」っていう人もいるけど、絶対に感じてないだけだから。目線を変えたら絶対に見つかるはず。
嫌なことばかりに気を取られて、 小さな幸せを感じなくなってませんか?ってことです。
小さな幸せの集合体が、大きな幸せに変わるんだ
幸せの定義ってすごくボヤけているから、人それぞれ全然違うと思います。
でも、ひとつだけ言えるのは感謝やありがたさを見失っている人は、幸せの定義が狭すぎるんです。
- 仕事終わりに飲む一杯目のビールは最高にうまくないですか?
- すてきな音楽を聴いているときは感情が躍動しませんか?
- やることがなくてボーっとテレビを付けているその時間も癒されてませんか?
- めちゃくちゃ眠たくなったときのベッドに入った瞬間の気持ちよさはヤバくないですか?
- 好きな人がいる。っていうだけでなんか特別じゃないですか?
- 何気ない行動が他人の「ありがとう」を呼ぶ瞬間って何にも代えがたいものがありませんか?
バーっと挙げましたけど、これらって全部当たり前じゃないから。
もうすでに日常化していることがたくさんあって、当たり前に起こる出来事になっているけど、これらを幸せだなぁ~って自己暗示をかけられるかどうかってすごく重要で。
こういう小さな日常にありふれている幸せをキャッチできる人は、やっぱりいちいち小さいことは気にしないですよ。アンテナの向きが違うから。
そして、こういう小さな幸せを「幸せー!!」と声高に叫びながら、人生を謳歌する人こそが、後に『大きな幸せ』を掴むんだと思う。
結局なにが言いたいかって総括すると、
小さな幸せを当たり前と捉えて、感謝やありがたさを見失ってる人が、大きな幸せを掴めるわけがない。人生楽しくなるわけがない!ってこと。
以上。