僕が自由を証明しようと思う

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自分の弱い部分をさらけ出せる「強い人」にとても憧れる、尊敬する。

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なんて言うか、突然ちょっと弱音トークを吐きたくなりました。

弱ってんのかな…。よく分からんけど、、まぁそんな気分のときもあります。

 

ぼくは基本めちゃくちゃポジティブです。目の前の物事や、大切に感じる従業員や周囲の人を幸せにするという責任と自信もあります。

ただね、これらの前向きさや、自信を持つことって「そう思い込んでないと潰れそうになる自分」がいるだけでもあるんだよね。

なんていうか、言語化がすごく難しいけど。分かる人には分かるはず。

ある種、不器用すぎて、重圧や恐怖・不安を自分の中でかき消す方法、消化する方法が【前向きでシャンとした自分を装う】ことでしか、表現できないんだよね。

 

なんでだろう、と考えてみた。

それは、重圧や恐怖と向き合うのが怖いのかもしれない。前向きな自分、根拠のない自信を持った自分を演じることで、周りは安心して明るい雰囲気になり、そんな明るい雰囲気に乗じて自分への安心につなげていたのかもしれない。

 

 

思い返すと、社会人になってからのぼくはずっとつっぱり続けてきた

入社当時は、勤めていたベンチャー企業のスピード感に圧倒された。経営陣の大金を動かす意思決定のひとつひとつに鳥肌が立った。

そして、ぼくは早期にひとつの目標を立てたんです。「この経営陣たちの見ている景色を同じ高さから眺めたい。」と。

 

マンションの1階から眺める景色と、マンションの最上階から眺める景色。当たり前ですが、見える範囲が全然違います。ぼくは、経営陣の視野の広さ、会話内容のスケールのでかさから、この人たちの見えている景色がどんな世界なのかを自分も知りたい!それが、仕事の原動力だった。

そこに一歩でも近づくために、とことんチャレンジし、自分のキャパオーバーの量を「できます」と公言しやり抜いた。そして、ときにはできずに怒られまくった。

ただ、この修行期間があったからこそ、26才にしてグループ全体のMVPに選ばれ、札幌支社のNo.2にまでなれたし、少しずつ見えている景色の違いも感じ始めた。

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この頃から、自分にムチを打つ習慣が身についてしまい、絶対にネガティブな感情は表に出さなくなった気がする。いや、勝手なプライドが邪魔をして出せなくなっただけなのかもしれない。

 

 

孤独すぎて、苦しすぎて、それでも誰にもSOSが出せなくて。

そして、28才。新たな子会社を設立するために、ぼくは単身で徳島県に飛び込んだ。

この子会社設立を任せられた経緯などの詳細は「一生懸命がむしゃらに働きぬいた先に、真の仕事の楽しさが見えてくる」の記事を参照ください。

www.satouwataru.com

ここでは、上記の記事には書けていない感情的なところを書かせてほしいなって。

もう一言で表現すると、まさに「孤独」だった。本当に心が折れそうだった。 

 

当然ながら知り合いはひとりもいない。そして、会社のトップであるという立場から、特定の従業員とプライベートをともにするということもほぼない環境だった。

一番きつかったのは、文化の違いだ。徳島県の仕事文化は定時上がりが当たり前で、17時や18時には夫婦そろって帰宅している。夕飯の食卓は家族全員そろって当然。そんな文化だった。

会社の立ち上げ当時、社員もぼくに少し気づかってくれて、早く仕事を覚えようと自主的に残業して手伝ってくれるメンバーがいて、帰宅が20時・21時になる日が数日続いた。そしたらある日、そのメンバーのご両親からぼく宛てに「残業させすぎだ。ふざけんな。」とクレームの電話が入った。

もはや初めての経験で戸惑った…。正直「え?この程度で親が出てくるのか…」と思った。「強制しているわけじゃない」という言い訳なんて火に油を注ぐだけなのは目に見えていたため、残業はさせないことを約束する他なかった。

そう、ぼくは仕事だけでも頭がパンパンだったのに、さらに仕事以外のメンバーケア、またそのご家族へ迷惑をかけないようにまで神経を使うことになった。全員必ず定時に上げる、その一方で会社設立直後だ。当然ながらやることなんて山積みだった。現地採用しているオープニングスタッフは、いわば研修段階で処理が追いつくはずなんてない。ぼくはほぼ毎日、早朝まで仕事をしていた。

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近くにSOSを出せる人もいない。相談できる人もいない。このつらさを分かち合える人もいない。正直言って、札幌時代が恋しかった。札幌なら他にも責任者クラスがいて、この程度の仕事は容易にシェアできる。それになんといっても議論できる。この「議論できる」「話し合える」相手の有無が、自分にとってどれだけありがたい環境だったのかを理解した瞬間だった。

もうね、勇気を出して言うけど、支社開設から半年くらいは、仕事も軌道に乗らず、文化に慣れず、議論・話相手もいない。ほんとに孤独で「俺、なんで徳島来たんだろう。」って何回も心が弱って、ひとりオフィスで涙してたなぁ~なんてことを書きながらちょっと思い出したりw

 

 

孤独のつらさ、そしてそれを見せられない不器用さ。

「たら」「れば」の話になってしまうけど、そうは言ってもこの時に自分が強がってなければどうなったのかなって今では思う。

特にブログを始めてから、自分の価値観の変化に気づく。みんな弱い部分をさらけ出している。しかもそれがいやらしくない、どことなく着地点は前向きなんだよね。

最後は「だからもっとがんばろ!」になっている人が多いことにブログを通じて発見した。言うなら『前を向くために弱音を吐いている』という感覚だ。

 

そんな人たちの記事を読むたびに、その表現の器用さ、ぼくの知らない方法での周囲の巻き込み方を見た気がして、すごくうらやましかった。器用さに嫉妬をした。

そして、ちょっと思った。孤独を創っていたのは、環境のせいではなく、強がっていた自分なのかもしれない。もしかしたら、自分の弱さを見せていれば、全然状況は変わってたかもしれないなぁって思わされた。いや、きっと変わってただろう。

ぼくは、弱い自分を見せる勇気がなかっただけだ。要はつっぱっていたんだ。

 

 

率いる側の人間が安住を求めてはいけない。

会社の組織って、当然いい時ばかりではなくて。ただ一方で、いい時こそ改革のチャンスでもあるので、それもそれで常に苦しみが伴う気がする。次のステージに行くために、苦渋の決断がついて来ることもある。

そんな辛さや苦しさがあっても、すぐに心をリセットして、悟られないくらい素早く姿勢を正して、誰にも気づかれないくらい明るく元気に振る舞う覚悟と強さが必要で。

やっぱり率いる側に安住はないなぁ、としばしば思う。そう思う反面、でもやっぱり、ぼくはそこにやりがいを見出しちゃうタイプだから。もっと強く、メンバーの前では常に顔を晴らしていられる上司でありたい。それがポリシーだったから、自分にそう言い聞かせ続けていた。

本当まだまだ未熟だなって。弱い部分を見せるのって、ぼくにとっては強がるよりもよっぽど勇気が必要なことなんだって思わされた。。

そう、ブログを通じて、弱い自分を外の世界に映せる人の「強さ」を知りました。

 

 

どんなに前向きな人だって傷つくし、痛いことは痛いんだよ

この記事の冒頭で、ぼくは言いました。

ただね、これらの前向きさや、自信を持つことって「そう思い込んでないと潰れそうになる自分」がいるだけでもあるんだよね。

ぼくは前向きな自分が崩れると、過去の自分を全否定してしまう気がして怖いのかもしれない。でもさ、だからぼくは弱いんだよね。自分の過去を否定する度胸すらないっていうことだ。

勝手に、後ろ向きな自分と戦って、後ろ向きになる怖さを知ったフリをしていたのかな。今までのぼくは、ぶっちゃけ傷ついても、不安でも、痛くても、それを見せずに気づかせないことが「強さ」であると思っていたから。でも、違うかもしれないね。

 

 

笑うために、泣く。だから泣けばいいんだ。

やっぱりいろんな雑念が溜まってしまうと、入りきらなくなっちゃうよね。出さないと入らないものもある。

泣いて泣いて、嫌なことがあったり苦しいとき、悔しいときは迷わず泣けばいい。

泣いてるときほど、自分に意識が向いているから。泣いて自分の内側からいらないものをたくさん出して、出しきったときに自然と意識が外側にきっと向くんだよね。出さないと入らないものもいっぱいある。

その雑念を全部内側から出しきらないと、いっぱい笑えない。だから泣いて出しきって笑おう、と。むしろ、笑うために泣けばいいよねって思えてきたかな。

 

 

10月から、ぼくはまた新たなチャレンジを迎えます。

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これだけ、孤独感やつらさを感じながらも、やっぱりぼくはもう少し経営側でいたい。

一人で稼ぐ、という手段も大いにアリだけど、もう少しの期間だけメンバーを抱えて一緒に仕事がしたい。

ぼくは意外と「一緒に」という感覚が好きで、誰かと一緒だからストレスもあるし辛いこともあるけど、誰かと一緒だから笑顔になれるシーンも多いし楽しい。

昔から、自分と関わった従業員に感情移入してしまうタイプで、一緒に働いている人は、「家族以上に家族」だと思っちゃうんです。現に、起きている時間は家族以上に時間を共有しているわけで。

だからこそ、関わるメンバー本人も然り、そのメンバーのほんとの家族の幸せにもこだわりながら働けるポジションでいられる重圧と幸福の両端を、ぼくは大切にしたい。

そして、せっかくブログを始めて得たこの価値観。今までなかった価値観である『弱さを見せる強さ』を、今度は表に出しながらメンバーと接していければいいなぁって感じてます。

 

できるかなぁ…。ほんと自分の弱ってる姿を知られる・見られるのって勇気がいります。この記事でさえぼくはちょっと躊躇したくらいに。。

さらっと出せてるブロガーさん、マジで尊敬します。ぼくには魅力的で眩しく映ります。

ぼくも定期的に弱い自分とブログを通じて向き合っていく努力をしてみよう!(という意思表明