僕が自由を証明しようと思う

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「いじめ」に遭ってる人へ、ぼくなりに伝えたい本音のエール

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「いじめ」が原因による自殺のニュース。

この類のニュースを見る度に、なかなか言葉では具現化できない複雑な気持ちになります。

 

自らの意思で命を絶つ生き物って、恐らく人間だけなんですよね。

たぶん、「いじめ」を100%絶滅させることは不可能な問題だと思います。

だから加害者への問題提起はニュースに任せて…。

ぼくは、いじめられる側にも問題がある、と考えているので、被害者(あえてこの表現を使います)にフォーカスして述べたいと思います。

 

結構きついことを言ってるので、反感は覚悟の上です。

願わくば、現在「いじめ」に遭っている方の目に留まることがあれば、少しでも自分自身の数年後を考える。また、未来を予想して乗り越えるきっかけになれば、この上なく嬉しいです。

 

自殺は人間のもつ最も自己中心的な行動である

いきなり、誤解を覚悟でぶっこみますが、

如何なる理由であれ、自殺という行為は人間のもつ最も自己中心的な行動である。

と、ぼくは思っています。

 

理由は何であろうと、です。

 

逃げのスタンスは否定しませんが、「死んで楽になる」という思考のゴール設定は、やっぱり一番ワガママな選択だなと思っちゃうんですよね。

むしろ、死の恐怖を現実の恐怖が上回っている(と当事者は感じていると推測)ことが既に「いじめ」の恐ろしさなのですが、そう推測すると、ぼくはやはり楽でワガママな選択をしているだけだな、と思えてなりません。

 

その考えの行きつく先が自己中心的な、という表現になりました。

 

 

残された家族・友人の表情を見ると、どうしても感じる「もうひとつの罪」

残されたご両親の姿など、たまに報道で見かけるけど、言葉にならないほどの苦しみ、悲しみが伝わってきます。そう思うと「自殺を選ぶ」ことも一種の罪ではないのかな?と。

 

気持ちいいくらいのきれいごとを並べますけど、

自殺してしまったあなたを産んだ瞬間の、母親の産みの苦しみと、産まれた直後の感動を、死ぬ前に考えてほしい。想像してほしい。

 

そして、思いとどまってほしいんです。

 

すでにお察しかもしれませんが、ぼくは「いじめ」に遭遇した経験はありません。

だから、いじめられている側の人の、苦しみや辛さはわかりません。

いじめられている方の想像を超えるストレスや、極限の苦しみは知ることはできないけれども、毎日が生きることに疑問を感じてしまうほど、本当に辛いんでしょうね。

 

 

「いじめ」という高い壁を乗り越えた先には、きっと異常なくらい眩しい光が待っている

ただ、一方で逆にぼくは思うんです。

いじめられる、という経験をしている人は、言わばぼくたち「いじめられる」経験のない人々よりも、高い壁にぶち当たっています。

そんな困難を、自殺以外のカタチで逃げる・乗り越えさえすれば、その高い壁を越えた経験は、異常なくらい光り輝く未来が待っているんじゃないか、と。

 

そう、きっとこれ以上の困難なんてそう経験しないんだよ。

だからこそ、それを乗り越えさえすれば、どんな困難も苦にならないメンタリティーが付いて、成功できる人が多い属性なんじゃないかなって思えてならないんです。

 

芸能人なんかでもウソかホントかは別として、過去いじめられっ子であったことを公表している人が多いじゃないですか。

あれっていうのも、それだけの濃い日陰を経験しているからこそ、極めて生き残りの厳しい芸能界で成功できているんじゃないかなぁ、なんて思ったり。

 

そう考えると、いじめという壁が高すぎて、その先の光が全く見えないまま、未来にフタをしてしまう人が多い現実に、報道を見るたびに本当に自殺という手段を選んでしまう「ワガママ」な逃げ方にはやるせなさを感じてしまうんです。

 

 

「いじめ」に快楽を覚える人は異常なんだ

運良く誰にも見つからずにミッションを成功させた経験が後押しして、更にエスカレートしていくのが人の性癖だとしても、それを抑制できず、他人に危害を及ぼすようになると、それはもはや正常ではない。

自己抑制を欠いてしまったそれらの行動は、どんな軽微なものでも犯罪だということを忘れてはいけないとつくづく思います。

 

ダメなものはダメだと、強く自分を戒める気持ちがなければ、誰でも潜在的に保持している性癖だけに、こうした行為は要注意なんですよね。

 

「いじめ」は俯瞰的に見ると、本当に狭い世界で行われている犯罪。

 

いじめられている人は、どうにか逃げて逃げて逃げ延びてほしい。切実に。

約80年ある人生のイマの数年だけです。

そこさえ乗り越えれば、きっと「いじめられた経験」が逆に自分を強くし、光の眩しい未来が待っているはずですから。

 

誰にでも光は射すから。どうか、目の前の絶望の壁を乗り越えてほしい。

「自殺」以外のどんな手段を使ってでも。