自信に根拠なんていらない、必要なのはちょっとの覚悟だけ。
堀江貴文さんの著書「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」の中で、ぼくがとても共感した一文があります。
ひとりだけ確実にあなたのことを信用してくれる相手がいる。 「自分」だ。 そして自分に寄せる強固な信用のことを、「自信」という。
堀江さんの考えや発信って、すごく尖ってるけどいちいち核心をついているなぁって。
そう、自信に理由や根拠はいらない。
なんか謙虚ぶって、「俺、自分に自信ない」って言う人いますよね。
ぼくはそのたびに「うそつけ!」って思うんですよ。この『自信ない発言』の意図は、本心で思っているのではなく、『もしうまくいかなかった場合の保険をかけている』だけの場合が多いんです。
自信なんて、みんな持っているものだと勝手に思っているし、「自信ある根拠は?」とか聞いてくる人がいたら、
「ねーよ。笑」
で良いですよね。
この「ねーよ」の裏には『(根拠なんて)ねーよ』と『(必要)ねーよ』っていう意味があって、必要ねーよ。と言いたい理由をちょっと書き殴りたいと思います。
むしろ、そこに根拠なんて持たないほうがいい。というより、自信あるくせに、ないフリをしている人が多すぎるという感覚のほうが強いんですよね。
「自信をもつ」ことと「自意識過剰」はまったく別物
『謙虚』でいることを美学とされているせいか、自信のある素振りを見せることに抵抗を示す人って多くないですか。ほんとは自信あるくせに。
いわゆるナルシストと言われるような「自意識過剰」と「自信を持つ」ことってまったく別物なわけです。
ぼくも、確かに自分好きだし、根拠のない自信も持ち合わせていますが、自分が一番なんてこれっぽっちも思っていません。
ここぞというときの決めポーズも別に持っていませんし、
30分や1時間もかけてヘアスタイルを作ったりもしませんし、
香水とかもまったく付けません。
ナルシスト寄りの自意識過剰ではないんです。これと「自信がある」っていうのは別ですよね。
「自信」とは自分に寄せる強固な信用。すなわち「覚悟」のこと。
もう一度「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」のフレーズを引用させてください。
ひとりだけ確実にあなたのことを信用してくれる相手がいる。 「自分」だ。 そして自分に寄せる強固な信用のことを、「自信」という。
自信=自分への信用、ですよ。言い換えると「覚悟」だと思っています。
- 約束を守る覚悟
- 一度決めたことをやり抜く覚悟
- 愛する人を幸せにする覚悟
上に挙げた3つの「覚悟」の部分は、すべて「自信」に言い換えることもできるんですよね。
- 約束を守る自信
- 一度決めたことをやり抜く自信
- 愛する人を幸せにする自信
だから、謙虚ぶって「いやぁ〜ぼく自信がないですよ」とかすぐに言ってしまう人は、覚悟が足りてないのと同義です。保険をかけて逃げ腰になっているだけで、それは謙虚とは言わないんですよ。
そのため、ぼくは謙虚っていう言葉は嫌いなんです。ムダに美学とされているが故に、こういった保険をかけて逃げ腰になっている人の使い勝手の良い逃げ道になっているだけだから。
自信をつける「根拠」や「実績」を待っていたら、もう手遅れだよ
自信に根拠なんていりません。根拠を探してたら手遅れ。
— 佐藤 渉 (@w_sato0417) 2013年10月5日
約3年前のぼくのツイートですが、もうほんとにこの考え方はブレずに現在に至ります。
自信がない、というのを口実にして行動に移さない人が多すぎますが、自信をつけるための実績や根拠なんて待ってから行動したって遅いから!って感じです。
もっと言うと、待ってたって自信に根拠なんて生まれないから、と。
そして、逆説的な見方をすると、「逃れたいがために、実績のない自分には自信がない。」という、行動しない言い訳として活用しているようにも受け取れることもあります。
まぁ、逃げる言い訳を考えたら、キリなく出てきますから。自信がないっていうのは都合のいい逃げ腰ツールですよね。
自信なんてハッタリで構わない
自信は、基本的に先出しするものだと思っています。
行動する前に、自信がくる。そして行動した先に自信が深まる。この順番だと思うんです。だから行動する前の最初の自信には、根拠なんてあるわけがないんですよね。
やったことのないような無理難題を突きつけられても、それが自分の成長につながるのであれば、「できます!」「やれます!」「自信あります!」って言っちゃえ。
ほんとに手放したくないくらい大好きな人が目の前にいたら、たとえ自信に根拠なんてなくても「絶対後悔させない!」「絶対幸せにできる!」って言っちゃえ。
覚悟からくるハッタリは、どんどん口に出すべきだよ。
この繰り返しで、自分で自分を追い込んで、他人と差がついていくものだと思います。
口に出したハッタリを「ウソ」で終わらせないために、自分の持ち得るすべてのパワーを注ぎ込んだ結果、ハッタリが現実となるんです。そうなったら、すごい達成感が待っているから。
自信という先出しのハッタリをかまして、ウソで終わらせないための努力という後出しをする。上のステージに上がっている人ほど、この回数を重ねて自分をストレッチしているんですよ。
ハッタリをかますこと、背伸びをすることは、決して悪いことじゃない。他者からの信用を獲得していくために、絶対に乗り越えなければならないハードルなのだ。
『ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく』堀江貴文(著)
ある程度の自己陶酔が自分を幸せにする
ここまで、いいだけ「自信に根拠はいらない」と言ってきましたが、
ぼくは、普通に他人を羨んじゃうし、他人の才能や実力に嫉妬しちゃいます。決して、本心で自信があるわけじゃないんです。
ただ、物事を前進させるためには、行動に起こすためには、「自分はやれる」と自らを奮い立たせてあげることが大切で、根拠のない自信の正体って、つまるところ「自分ならやれる」と自分を前向きに信じ込ませることなんじゃないかなって思うんですよね。
自分として生まれた以上は、自分のことを信じられて、自分のことを好きでいられなかったら何事もつまらないじゃないですか。
行きすぎた自己陶酔はどうかと思いますが、ある程度の自己陶酔は絶対に必要だと思います。なぜなら、そっちの方が人生は断然楽しいから。
信用の「ゼロからイチ」は、まず自分で自分を信じるところからはじまる。
堀江さんの「ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」を久々に読み返して、改めて感じたよね。
- 「自信」との向き合い方。
- 「自信」という言葉の自分への浸透のさせ方。
根拠なんていらないから、自信がある!と胸を張る勇気を持とうよ。
たった一度の人生なんだもん。