僕が自由を証明しようと思う

ブログ『僕が自由を証明しようと思う』運営。 仕事漬けの20代を過ごし、得た経験・価値観・楽しさを中心に書きます。 雑記系(仕事論/マーケティング/時事ネタ/心理学/チャラいネタ)です。 ご連絡・問い合わせはFacebook、Twitterから。またはメール(w.sato0417@gmail.com)までお願いいたします。

大谷翔平がプロ野球の常識を変えた歴史的な一歩

【スポンサーリンク】

 

f:id:w-sato0417:20160530140933j:plain

5月29日 12:50頃、その瞬間は訪れた。

プロ野球【楽天vs日本ハム】の一戦。楽天の本拠地である「Koboスタジアム宮城」が怒涛の大歓声で揺れた

プレーで歓声が起こったわけではない。有名な芸能人が始球式を行ったわけでもない。

試合開始前にも関わらず、まるで地鳴りのように沸いた球場全体の大歓声は、場内アナウンスによる各チームスタメンオーダーの発表で起こったのである。

 

大谷翔平がプロ野球の常識を覆した、歴史的な瞬間がついに…

場内アナウンス

「それでは先行『北海道日本ハムファイターズ』、本日のスタメンを発表します。」

(中略)

「4番・ファースト中田」

「5番・センター陽」

6番・ピッチャー大谷

f:id:w-sato0417:20160530141255j:plain

Koboスタ宮城がその瞬間、

……。うぉぉぉおおおおおおおおおお!!

その後の場内アナウンスが聞こえないほどの大歓声が起こった。

ここは楽天のホーム。なのにも関わらず、スタジアム全体が興奮し、大歓声を送っている。

敵チームとか、応援しているチームとか、そんなちっぽけなことはどうでも良いくらい全野球ファンを熱くさせてくれた瞬間なのである。

 

ぼくは感動のあまり鳥肌が立った。

もともと日本ハムファイターズの大ファンで、大谷選手のことは新人時代からずっと見ていた。そう、大谷選手は「ずっと二刀流なんてできるわけない。」という批判を受けながら戦い続け、自分の信念を貫き、見事この日に自ら創り上げた実績と努力で、二刀流は不可能ではなかったこと。それを証明してみせた。

 

 

二刀流について外野から浴びせられる批判に決して折れなかった大谷選手の強さ

大谷 翔平は2013年に入団して、今年で4年目の21才。(今年で22才)

こんな若者が外野から常にバッシングを受けていたわけである。もちろん批判も大谷選手の投手としての才能を想ってのことで言われている内容が多かった。大谷選手は過去3年間の成績を見ると、圧倒的に投手としての実績が強かったためである。

 

投手・大谷としての過去成績

f:id:w-sato0417:20160530142521j:plain

  • 2013年→登板:13試合 戦績:3勝0敗 防御率:4.23
  • 2014年→登板:24試合 戦績:11勝4敗 防御率:2.61
  • 2015年→登板:22試合 戦績:15勝5敗 防御率:2.24
  • 2016年→登板:10試合 戦績:3勝4敗 防御率:2.84(※5月30日現在)

見ての通り、投手としては2年目の19才から早くも頭角を現し、エースとして投げ始めているのである。防御率が2点台というのは、一試合を投げたら3点は取れない投手ということを意味しているが、じゃっかん19才にしてすでにこの数字…。

 

打者・大谷としての過去成績

f:id:w-sato0417:20160530143416j:plain

  • 2013年→試合:77 189打数45安打 打率.238 本塁打:3本
  • 2014年→試合:87 212打数58安打 打率.274 本塁打:10本
  • 2015年→試合:70 109打数22安打 打率.202 本塁打:5本
  • 2016年→試合:31 78打数28安打 打率.359 本塁打:8本(※5月30日現在)

見ての通り、2014年こそ打率もそこそこでホームランも10本と二桁に乗せているが、2015年には打者としては絶不調。シーズン途中からは打者として使われなくなり、ほぼ投手大谷としての姿しかグラウンドで見ることができなかった。

 

当然、周りからは「打者としては伸びない」「ピッチャーとして専念して偉大な投手として育成するべき」などという声が多くなった。

「本気で二刀流できると日ハムは思っているのか。大谷を潰す気か!投手は一度出来上がると長持ちするがバッターは難しい」江本孟紀

「二刀流自体は簡単だが、どちらも一流になるのは難しい。野手なんて投手崩れで十分、高校生で160出す投手がどこにいるのか」権藤博

「二刀流だと中途半端になる。投手に専念したほうがいい」桑田真澄

「ずっと二刀流で(両方で大成)ゆうのは無理よ。160出せる身体能力は野手でも絶対に生きるはずやんか、オレはやっぱり野手で大成させてほしいと思うな」岡田彰布

「松井と落合を足したようなとんでもない打者になると思う。投手としては10年に1人だが野手としては20年に1人」小早川毅彦

打者か投手かは別として、やはり"どちらかで一本化"という意見が集中していた。

 

野球が大好きだから、打者も投手も極めたいという大谷選手の努力。そして、夢を尊重し続けた栗山監督の信念。

ぼくが日本ハムのファンだから言うわけではないが、ぶっちゃけ大谷選手は日本ハム以外の球団に入団していたら、"二刀流"の夢は潰えていた気がする。

ひいき目を抜きにしても、日本ハムという球団は若手の育成がものすごくうまいチームだと思う。結局は、一選手がいくら「二刀流として挑戦したい!」と吠えたところで、プロである以上、球団の方針に従わざるを得ない。

そういう意味では、日本ハムは選手の考えをできる限り尊重する球団で、且つ栗山監督が夢を応援するビジョンの持ち主であることは絶対にプラスに働いたはず。

 

最初は日本ハムへの入団を拒否した大谷選手、そこからドラマがある

野球ファンであれば、記憶にある方もいらっしゃるだろう。

2012年ドラフト最大の目玉であった大谷。ほぼ全球団がドラフト指名すると見られていたが、実際に指名をしたのは日本ハムだけだった。なぜか?

2012年10月25日、日本ハムが大谷選手をドラフト1位指名した日だ。実はその4日前の2012年10月21日、大谷は記者会見でメジャー挑戦を表明していた。それは日本球団に対する「指名されても入りません」というけん制の意味が込められていた。

 

そんな中で、日本ハムは強行指名を行った。もちろん他球団は大谷獲得を諦め、他選手の指名に流れたために日本ハムの単独指名となったのである。

 

指名を受けた大谷の当時のコメントはこうだ。

「自分の気持ちは変わらないけど、評価をしていただいたことはありがたい。正直びっくりしたというか、動揺した部分はあった。(入団の)可能性はゼロです」 

 

可能性「ゼロ」から逆転入団を呼んだ栗山監督の夢を語る熱意と情熱

指名後の記者会見で、異例の謝罪をする栗山監督。

大谷君からすれば「何すんだ」っていうこともあるだろうし、それに対しては、正直に本当に申し訳ない。とりあえず(大谷サイドに)話を聞いてもらえたら、うれしい。 

そう語りかけて、大谷の当時通っていた高校(花巻東高校)に挨拶をしに行くが…なんと大谷は同席を拒否。入団NGの意志を固く示していた。

日本ハム、花巻東高を訪問 山田GM「最後まで諦めない」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

そこからの入団に至る経緯を振り返っておきたい。この入団ドラマありきで、大谷の歴史的偉業をキャッチアップするとより感動できるから。

 

■入団交渉1回目

初の入団交渉は、両親のみで大谷は同席せず。

▼交渉した日ハムの山田正雄GM
「若いときからメジャーに挑戦する 海外で挑戦することは統計的にもなかなか大変だという説明をしました。ご両親も納得してくれたと思います」

交渉後、父親である徹さんのコメント

▼交渉後 父親の徹さん
「球団さんから資料を作っていただき 日本スポーツ界の若い人が海外に進出するというお話を その資料をもとに伺いました。資料作りには時間もかかったでしょうし 大変だったと思います。私としてはありがたいなという思いです。資料を持ち帰って できるだけ詳しく正確に伝えたい。最終的には本人の人生。後悔のないように 本人の意志で決めたい」 

 

■入団交渉2回目

前回の交渉を経て、ご両親が「一度は球団の話を聞いたほうがいい」と説得。

大谷が初めて姿を見せ、交渉に同席してもらうことが実現する。

▼交渉した日ハムの山田正雄GM
「今回 本人が出席してくれたことに感謝したい。感触はまだ分からない。二刀流の話をしたときには、メジャーからは不可能だと言われていたそうで その話は喜んで少しニコッとしていました」

▼交渉後 父親の徹さん
「前向きな態度は感じられなかった。でも、全く「ノー」という感じでもなかった。私自身は以前から国内寄りではあったので 日本でプレーして欲しい気はあった。」

ここで、驚きの二刀流としての育成方針を日本ハム側から提示していたのである。

 

■入団交渉3回目

栗山監督が初の同席。大谷選手が日本ハムを経てからメジャー挑戦する意義を熱心に唱える場となった。

▼交渉した栗山監督
「自分の思いを 魂の部分を 言葉にして伝えさせていただきました。翻意させに来たわけではない。一緒に夢をかなえたい。どうやったら手伝えるのか。監督ではなく解説者になっていた。」 

前回の交渉では無言だった大谷が、栗山監督の熱意が伝わり、大谷から質問や「アメリカで生活するのは大変なんですね…」という言葉も出たという。

▼交渉後の会見で大谷
「説得ではなく 自分の(大谷の)立場を親身になって考えていただきました。ありがたいですし 感謝しています。栗山監督に会えて良かった。栗山監督は情熱的な方で 素晴らしい話が聞けました。自分で考える上での判断材料になります。新たな発見もありました。」

ここで頑なに拒んでいた大谷の態度に少しずつ変化が出ていることがわかる。

 

■入団交渉4回目

なんと大谷サイドから、交渉の申し入れが来て実現した4回目の入団交渉。

▼交渉した栗山監督
「日本でプレーするのなら 全て自分が背負う。指名を強行した球団と自分が悪いと。できる限りプレーしやすい環境をつくりたい。一番大切なのは 大谷君の将来。その道をつくるのは大人の責任。」

この交渉は大谷が明らかに入団に迷いが生じ始めていることを意味していた。

そのときに、大谷は「二刀流」について質問をしたという。打者としてスタートをしたら、投手としては使われず打者として終わってしまうのではないか。という不安があったそうだ。

それに対し、日本ハムはダルビッシュが付けていた背番号11を用意していることを大谷へ伝え、それはエースを託すことを意味していた。

▼交渉後 球団広報を通じて出した大谷のコメント
「自分の疑問点を解消していただき感謝しております。周囲に迷惑がかからぬよう、今週中には球団に伝えたいと思います。」 

余談だが、大谷はダルビッシュを尊敬していると自身で語っている。

f:id:w-sato0417:20160530165501j:plain

感情を表に出して爆発させるところなんてそっくりだ。

こういう熱いプレイスタイルは大好き。

 

■入団交渉5回目→大谷、日本ハムへ入団の意志を表明する

f:id:w-sato0417:20160530161350j:plain

「可能性ゼロ」からの逆転入団。

二刀流の提示や、栗山監督の「誰も歩いたことのない道を歩んでほしい」という言葉が大谷の心を動かし、交渉の過程で心境の変化が生まれたことを大谷も明かしている。

▼大谷のコメント
「たくさんの方にご迷惑をおかけしましたが、今までお世話になった方や、地元の方々に日本でプレーする姿を見て頂いて少しでも恩返しできればいいなと思ってます。子供たちの目指す選手になれるように、これからファイターズの一員として頑張って行きたいと思っています。」 

今でもこの日本ハムの入団交渉は奇跡と称されている。

ぶっちゃけ、日本ハムじゃなければ、もっと言うと栗山監督じゃなければこの入団はなかったかもしれない。誠実な交渉姿勢が生んだ結果として学ぶべきポイントだと思う。

 

 

これは栗山監督と大谷選手、男同士の約束が生んだ「新しい歴史」である

数々の批判には耳を一切かたむけなかった。

栗山監督は、二刀流としての育成プランを提示し熱い想いをぶつけている。その想いは一朝一夕の成績の良し悪しでは決して揺らぐことはなかった。「日本でプレーするなら俺が全責任を負う」という言葉に1ミリも嘘偽りはなかったのだ。

 

大谷は、そんな栗山監督からの二刀流提示に夢を抱き、投手・打者の両方で一流になることを目指した。投手で成績は残せていたが、打者としては全然ダメだったが言い訳は一切しなかった。雑音には一切耳を貸さず、栗山監督をはじめとした、チームの育成方法・プレー環境を信じ抜いて4年間信じられないくらいの努力をしていたと思う。

 

投手としての練習と打者としての練習、コンディション調整、どれをとっても凡人では到底考えられないくらいタフな毎日を過ごしていたんだろう。

 

投手のときは、投手に専念。打者のときは打者に専念。

ここまでの大谷選手は、本物の二刀流とは呼べなかった。だが、今シーズンここまで打者としての打撃成績も申し分ない成績を残していたため、栗山監督は相手チームが嫌がるオーダーを組むという合理的な判断によって、夢の投手&打者というリアル二刀流が実現した。

 

決して、メディアのためではない。ヤラセ感はまったくない、大谷選手が自らの成績で勝ち取った夢。栗山監督も監督としての合理的な組み方で約束を実現。

 

ぼくは、このプロセスを頭に描きながらスタメン発表に見入っていた。

絆が生んだ、男同士の約束。そしてプロ野球の歴史に新しい概念を作った瞬間である。

もう外野は何も言えない。大谷選手は実力で証明して見せたのだから。

 

 

ぼくは、この感動の瞬間をブログにストックしておきたかった。反応なんてなくても良いから書かずにはいられなかった。

 

いつか大谷選手がメジャーに挑戦するときも、いつか大谷選手が引退してしまうときも、このブログを見返して、この瞬間の余韻に浸りたいと思う。