歴史的大逆転!日本ハムファイターズ優勝までの軌跡。
2016年9月28日。栗山監督が8回宙を舞った。
パ・リーグのペナントレースも残3試合というところまで優勝はもつれた。近年まれに見ぬ大接戦の優勝争い。圧倒的な戦力を誇る絶対王者ソフトバンクと、果敢に挑み逆転優勝を目前にしていた日本ハムファイターズ一騎打ちの勝負が、ついに決した。
6月24日時点、首位を快走していた王者ソフトバンクとは、11.5ゲームという絶望的な差が生まれていた。
ただでさえ、圧倒的な戦力を誇るソフトバンク。今年も「やっぱりソフトバンクは強い」で終了すると誰もが思っていた中で、ファイターズが驚異的なまくり上げを見せ、歴史に残る奇跡の大逆転優勝を遂げた。
ファンにとっては忘れられないドラマチックなシーズン。その優勝の裏には様々な軌跡があったので振り返りたいと思う。
奇跡の大逆転は、名将・栗山監督なしでは考えられなかった
「名選手は名監督にあらず」という言葉が、これほど当てはまる名将はいるだろうか。
栗山監督は、選手時代にメニエール病を患ったことも関与し、プロ生活はたったの7年で幕を閉じている。
2012年より日本ハムファイターズの監督として就任。今年で5年目の指揮となっていて、就任初年度の2012年以来の4年ぶりの優勝を手にしている。下記の表に過去4年の戦績を貼っておきたい。
就任初年度の2012年は、絶対エースだったダルビッシュがメジャー移籍して戦力がダウンした中での采配で、新たな戦力を見出し、花を開かせ、いきなり優勝してみせた。
2013年こそ最下位に沈んだが、2014年・2015年とともにAクラス入りを果たしている。
そして、2016年の大逆転だ。今年は特に栗山監督の固定概念に捉われない選手起用と采配が、この歴史的な優勝を呼び込んだといっても過言ではない。
ブラックマヨネーズの吉田さんもTwitterでこんなことをつぶやいていた。
【栗山監督】だいたいが栗山監督って監督なった時、キャスターからいきなりやったから「絶対無理」とか言われてたよなぁ。そんな人やから同じように二刀流「絶対無理」って言われてた大谷選手の気持ち察しれたりしたんやろか。
— ブラマヨ吉田 (@bmyoshida) 2016年9月28日
本当にその通りだと思う。
名采配①「大谷翔平の起用法」
詳しくは後述するが、 2016年のプロ野球は"大谷の一年"だった。
まだシーズンは全日程終わっていないが、もしファイターズが日本シリーズも制覇して日本一になれば、間違いなく『大谷の一年』として語られるだろう。
■シーズン後半戦の打者一本化
ここで、栗山監督の采配が光ったのは、シーズン後半戦に大谷を打者一本化して起用し続けたことだと思う。
昨年まで、大谷は打者としては今ひとつの成績だったため、ほぼ投手専念だった。
ただ今年は打者としても怪物っぷりが覚醒。驚異的な成績を残している。
投手であれば、週に一度の登板。打者であれば全試合出場することになるため、ここが逆転優勝への勝負どころと見た栗山監督は、大谷をしばらく打者一本で毎試合出場させることを選択した。
■ここ一番の大勝負で二刀流起用
そして、極めつけは絶対に落とせない一戦で、投手・打者の同時出場である二刀流として起用した。そこの一戦を落とさないために、大谷の疲れを見ながら、少しずつ調整させて大勝負に備えていたのだ。
舞台は9月21日。ゲーム差なしで迎えた王者ソフトバンクとの天王山。ここで、大谷は「8番投手」として二刀流の復活を遂げた。投げては8回1失点で、この試合を勝利し優勝へ一気に加速したきっかけを作った。
名采配②「守護神・増井の先発転向」
増井は、2014年の途中から勝ち試合の締めくくりを任されるクローザーという重要な役割を任されており、2015年には39セーブ、防御率1.50という圧倒的な存在感を見せていた投手だ。
そんな増井だが、2016年に入りパッとしない。勝ってる試合の最後に登場し、同点・逆転される試合も多々あった。なんと21試合登板時点で10セーブ、防御率6.30と別人のようだった。そんな中、栗山監督は増井へ二軍調整を命じた。
シーズンも大事な佳境を迎えた8月だった。栗山監督がひとつの英断をした。
それが、増井の先発転向だった。
恐らくこの配置転換は、ぼくも含めて誰もが「無謀だ」と思ったはずだ。
ここ数年の増井は、9回の1イニングしか投げてこなかった。とても先発として1回~5回・6回まで任せられるスタミナがあるとは思えなかった。
7月9日。2軍で調整中だった右腕を鎌ケ谷から札幌ドームに呼び寄せた。「『分かりました』と言うのに、1日では済まないと思っていた。実績もプライドもあるし。でも、絶対プラスになると思って」。昨季、球団タイ記録の39セーブを挙げた守護神。監督室で先発転向を告げられた増井は「スタミナ面の心配もあって、嫌です」と、すぐには首をタテに振らなかった。
こちらの引用記事のとおり、増井本人もスタミナに不安を感じていた。
ただ、栗山監督は自分の信じた決断、そしてなにより増井の先発投手としての能力を信じていたに違いない。
それでも指揮官は「仕方ないからやりますという最低限のところまで持っていくと決めた」。30分が過ぎ「土下座してでも頼む」と頭を下げる寸前までいった。監督の熱意に折れた守護神。先発転向後3試合目の登板から6連勝し、逆転Vの立役者となった。
まさに栗山マジック。
先発転向から9試合登板して7勝0敗。3試合目から7連勝を飾る。
増井が先発としていなければ、この大逆転はあり得なかったと思わされるほどの存在感となったのである。
名采配③「不動の4番・中田に代打、そしてスタメン外し」
栗山監督は、2012年の就任以来「日本ハムの4番は中田しかいない」と説いてきた。
しかし、主砲として期待されていた中田が大不振。ファイターズが球団新記録をかけて連勝中だった6月27日、西武ライオンズ戦で栗山監督は、7回に中田の打席で代打を送ったのだ。中田はその後、2試合スタメンからも外れることになる。
そして、それが功を奏し、試合は逆転勝利。球団新記録の15連勝へと続くことになる。
当然、中田翔からすると屈辱だろう。またヤンチャで繊細な男なので、深く考え込んでいた。
6月27日の西武戦で7回に代打を出された。腰痛もあったけど、あれは単純に実力がなかったから。むしろ「なんで試合に出ているんや」と。「もうどうでもええわ」って思っている自分もいた。完全にキレていたんだろうね。
いつ、どのタイミングで「2軍へ行かせてください」と言おうかをずっと考えていた。毎日、嫌々メンバー発表を見て「今日も出るのか…」と。帰りの車の中で「事故ったら明日から試合に出なくていいかな」とまで考えた。どん底だったんじゃない。そこがオレの弱いところでもあるんだけど。
【日本ハム】中田、独占手記「『2軍へ行かせてください』と言おうかとずっと考えていた」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
打てない日々のことを、このように語っている中田翔。チームの主力がふてくされていては、チームの士気に影響があることは言うまでもない。
ただ、栗山監督のすばらしいところは、その後のフォローにある。
救ってくれたのは栗山監督だった。8月10日の西武戦だったかな。チームがサヨナラ勝ちしたのに、すぐ帰っちゃった。そしたら翌日に「監督室へ来てくれ」と。さすがに怒られるんかなと思った。でも、違った。札幌Dの監督室で20~30分。オレやチーム、いろんなことを話してくれた。途中「翔は今どう思っているんだ?」と聞かれた時、思っていたこと、たまっていたことを全部話した。「『レギュラー外してください』『2軍へ行かせてください』と、いつ言おうか考えてました」と。それでも、「もう一回頑張ろう。翔で勝負してダメだったら納得できる。一からやろう」と言ってくれた。
【日本ハム】中田、独占手記「『2軍へ行かせてください』と言おうかとずっと考えていた」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
中田はこう見えて、かなり繊細で気にしすぎるところがある。周りへの気配りも人一倍あることもファンの中では有名な話だ。
だから、一度「悩みのトンネル」に入ってしまうと、抜け出すまでに時間がかかるメンタルの弱さが中田の課題なのである。
そんな中田のハートをしっかりとグリップし、ネガティブモードから逸脱させる栗山監督のマネジメント力は、チーム向上に大きな影響をもたらしているのは間違いない。
そして、結果的に中田は110打点を稼ぎ、打点王のタイトルを確実にしているのだ。
怪物・大谷翔平の覚醒
今シーズン序盤、大谷は苦しんでいた。投手として勝てなかったのだ。
ぼくはあまりの勝てなさに、思わず記事で嘆いた…。
ただ、今年の大谷は打者として序盤から輝きを見せていた。
5月には5試合連続ホームランなど大暴れ。
2015年は打率.202だったのが、2016年は打率.322と完全に覚醒した。
6月に入り、大谷はピッチャーとしてもエンジンがようやくかかり始め、6月は4試合に登板して4勝0敗。自責点1、防御率0.29という驚異の数字を残した。
さぁ、大谷がいよいよフルスロットルに切り替わった!と思えたのを鮮明に覚えている。
ついに禁断のリアル二刀流が実現する
ときは5月29日だ。ついに大谷のリアル二刀流が実現した。
パ・リーグのDH制をあえて使わずに、ピッチャー大谷を打者として、しかも打線の中軸にすえたスタメンオーダー。
いやぁ、このスタメン発表のときは震えたね。鳥肌が立った。
今まで、否定され続けていた「二刀流」を、大谷自身の努力と実力で黙らせた瞬間だったよね。
さらなるサプライズ「一番・ピッチャー大谷」
ド肝を抜かれた。7月3日の対ソフトバンク戦だった。
もはや逆転優勝に向けて、ソフトバンクとの一戦はすべて必勝の気合いで臨んでいた。
そこで、栗山監督が勝つために組んだオーダーが『一番・ピッチャー大谷』だ。投手が一番を打つなんていうのは、常識では考えられない。
これは、常識に捉われない栗山監督の哲学と、その要求に応えるだけの能力を兼ねた大谷翔平という選手が、ダブルで揃っていたからこそ実現した、奇跡のオーダーかもしれない。
しかも、さらなる衝撃は、大谷は試合開始直後の"初球"を叩いてホームランを打ったのだ。敵地ヤフオクドームも「え?なにが起きた?」というくらい静まっていた。
恐らく、長いプロ野球の歴史でも前人未踏、そして今後も起こらないであろう【一番・投手による"初球"先頭打者ホームラン】という伝説が生まれた瞬間だった。
この試合以降、「一番・投手」で起用されることはなかった。たぶん今後もないのではないか。
それくらい投手で一番を打つ、というのはリスクも大きいことだ。なにせ投手の準備ができない、打席も一番多く回る。正直言ってとんでもないオーダーなのだ。
ただ、その一度限りの栗山監督の絶対負けられない「賭け」に、"伝説の一振り"で回答した大谷翔平に、全野球ファンが魅了されたのは間違いないと思う。
胴上げ投手となった大谷。この「引きの強さ」すらも怪物たる所以だ。
9月28日、優勝を決めた日だ。この日、大谷の本気のピッチングを見た。
西武の強力打線を9回わずか1安打、そして15奪三振。まさに完全無欠という言葉がこの男には似合いすぎる。
そして、なによりもすごいのは引きの強さじゃないか。
前日の9月27日、すでに優勝マジック「1」としていたファイターズは、この日に勝てば優勝だった。もしくはファイターズが負けても、ソフトバンクも負ければ優勝。そんな条件がそろっていた。
しかし、なんとファイターズが負けて、ソフトバンクが勝ったのだ。これでファイターズの優勝は持ち越しになった。
本来、9月27日に優勝が決まっていれば、9月28日の大谷の先発試合は消化試合になる予定だった。だが、野球の神様は大谷に「胴上げ投手の権利」を託したのだ。
すべては大谷のために用意されたかのような舞台。その舞台で、大谷は過去最高のピッチングを見せたと言ってもいいだろう。
ファイターズ打線も1点しか取れずに、ずっと気の抜けない状況だった。ただ大谷はそんなプレッシャーをモノともせずに、9回まで1人で投げぬいた。しかも許したヒットは1本だけである。
そして、見事に胴上げ投手としてマウンドで両手を突き上げる姿は、まさに『大谷の1年だった』と表現するにふさわしいだろう。
期待されていた若手の台頭
そして、今年のファイターズに欠かせなかったのが若手の台頭だろう。
ファイターズは12球団の中でも平均年齢の若いチーム。若手育成のうまいチームなのだ。
韋駄天、西川遥輝の開花
まず挙がる名前が、ファイターズの誇る俊足リードオフマンの西川だ。
毎年、ずっと期待されてきたが、なかなか思うような結果が残せずもがいていた一人。
飛距離も出せるバッターなので、大振りしては三振の多いバッターだったが、今年の西川は長打を封印。出塁することに重きを置いたフォア・ザ・チームに徹する姿勢を見せ始めた。
圧巻は7月31日から9月24日まで、実に45試合連続出塁という記録だ。西川は「三塁到達スピードは球界ナンバー1」と言われるほどの俊足。出塁されるとこれほど怖い存在はいない。
しかも、591打席に立ち、併殺打は「0」だ。あまり表に出ないが、この記録はチームにとってどれだけの貢献度があることか。この一年でチームにとって欠かせない存在になった。
走攻守そろった才能、岡大海のブレイク
入団当時から、野球センスがバツグンで将来の主軸として期待されていた。
そんな中、昨年の2015シーズンは101試合に出場するも、打率.236と周囲の期待に応えられない結果となってしまった。さらに、2016年シーズン序盤はケガで出遅れてしまう。
しかし、ケガから明けた6月後半。復帰した岡は打ちに打ちまくる大活躍。15連勝の立役者となった。
40試合の出場にとどまってしまったが、打率.380と驚異の成績を残して、優勝に多大な貢献をした。
エース候補からエースへ、有原航平の成長
特に今シーズンの前半戦は、神がかった投球だった。
チームがまだ波に乗り切れていない、4月・5月は有原がいたから3位という位置にいられた。乗り越えられた。
後半戦はなかなか勝てずに苦しんでいたが、それでもシーズン最後の天王山ソフトバンク戦第2ラウンドに迷わず有原を送り出した栗山監督。
そして、その大一番で輝きを取り戻した有原の熱投は、チームを優勝へと導く価値のある1勝だった。
新人王筆頭候補、高梨裕稔の安定感
シーズン開幕前は、名前も出ないくらいの伏兵選手。
前半戦は主に中継ぎとして投げていたが、その安定感から先発へ抜擢される。
結果、見事なピッチングを見せ、10勝2敗と文句のつけようのない活躍を見せてくれた。新人王の筆頭候補だろう。
数々の記録更新。球団史上最強のファイターズ、ここにあり。
絶対王者ソフトバンクとの一騎打ちを制したファイターズ。
その内容をふり返ると、記録尽くしの1年であったことがわかる。
【球団新記録】破竹の15連勝を記録!
6月19日から7月11日かけて、ファイターズは破竹の15連勝を記録した。
球団創立以来の新記録である。この15連勝から、怒涛のソフトバンク追撃が始まった。
【球団新記録】年間勝利数87勝!
今シーズンの戦績は、87勝53敗3分け。年間87勝というのは、球団新記録である。
過去の最多勝利数は、
- 2006年 82勝(トレイ・ヒルマン監督)
- 2009年 82勝(梨田昌孝監督)
となる。いずれも優勝しているシーズンだ。
それらを上回り、87勝しても最後の最後まで優勝が決まらないというのは、ソフトバンクもどれだけ強かったかを感じさせる。
【プロ野球史上初】6番以降の打席で全ホームランの本塁打王が誕生!
珍記録が誕生した。
ファイターズに在籍2年目のレアードが本塁打39本で、ホームラン王のタイトルを獲得する。レアードの打った39本のホームランは、すべて6番以降の打順で放っている。
なんと、6番以降で放った本塁打数だけで、ホームラン王になるのは、プロ野球史上初のことだ。
レアードというホームランバッターを下位打線に置けたのも、ファイターズの強さのひとつだろう。
【史上初】歴史を創った異次元の記録。投手10勝・ヒット100本・本塁打20本越え!
最後は、やはりこの男だ。
改めて、大谷翔平の投手成績・打者成績を見てみる。
■投手
登板:21試合 戦績:10勝4敗 防御率:1.86
■打者
試合:104試合 323打数104安打 打率.322 本塁打:22本
すごすぎるでしょう。まさに野球界の至宝。
投手として10勝し、打者として年間ヒット100本&ホームラン20本越えの記録は、メジャーリーグでも達成した選手はいない。正真正銘、世界初の記録となる。
大谷は、まさに伝説の記録をひとつ創ったのだ。
栗山ファイターズの集大成
栗山監督が就任して5年目。
まさに、栗山イズムが浸透したファイターズのチームカラーになったのではないか。
栗山監督は、決して選手を責めない。そして、選手のみんなを「家族」と表現する。
この愛情をもったコミュニケーションが、『非情な決断』をしたときも、選手は腹の底から納得して受け入れられる礎になっているような気がする。
選手たちの監督への声をいくつか拾いたい。
■中田翔
他人にペコペコしたり、ゴマをすったりするのが大嫌い。監督とは用がある時しか話さないけど、純粋に監督が好きやね。あそこまでチーム、選手一人一人のことを考えている人はいない。1年目から監督を男にしたい、一番の監督にしたいとガチで思った。正直、監督と出会うまで、そんな気持ちを持ったことはなかった。だって、プロ野球って自分が結果を出してナンボの世界でしょ?
【日本ハム】中田、独占手記「『2軍へ行かせてください』と言おうかとずっと考えていた」 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
■レアード
特別な日になった。監督がどれだけ勝ちたいかを知っていたし、監督が大好き。監督がうれしそうにしていたので、自分も幸せな気分になれた。
■矢野謙次
本当にすごいと思う。選手のいい面も悪い面も全部分かった上で、どうやっていいところを生かしていこうかを考えている。大事なところで使ってもらって感謝しかない。
これだけ選手たちから、 尊敬の意味で好かれる監督がどこにいるだろうか。
一人一人の選手を「人」として接し、野球選手として、そして人としての成長に、これだけまっすぐに向き合っている監督をあまり見たことがない。
栗山監督は全リーダーの模範
仕事に置き換えると、選手は部下と言える。
栗山監督が選手たちと接してきたマネジメントは、部下とのマネジメントとして模範となるところがとても多い。
- 選手への愛情表現をストレートに行うこと
- 失敗(敗戦)は自分のせい。成功(勝利)は選手のおかげと言いきる
- 選手への感謝の気持ちを忘れない
すごくシンプルで、誰にもできることだが、実は誰しもができていないことである。
最後に、優勝後の栗山監督の手記がすばらしく刺さったので、一部を引用して締めたい。
選手たちが輝いてくれたから、優勝することができた。褒めてあげたいし、誇りに思う。
だからいま一度、言いたい。本当に、ありがとう。
こんなに温かく響く「ありがとう」を久々に見た気がする。
こちらこそ、言いたい。エキサイティングですばらしい一年をファンに見せ続けてくれてありがとう。
やっぱりぼくは、栗山監督のファイターズが大好きだ。ファイターズのファンで本当に良かった。