二者択一に潜む罠。選択という「枠」からは決してベストな結論は出ない。
普通に生活をしていると、選択を求められる場面ってたくさんあると思います。
ぼくは、この限られた選択肢の中から良いほうを選ぶ。という行為は、思考停止を生み出す要因だなぁとしみじみ感じています。で、今日たまたま乗ってる電車の中でふと聞こえた会話の中に、「まさに!」と思ったやり取りがありました。
この会話こそ、ぼくは傍から聞こえてきたときに、"勝手に自分の可能性を狭めて、視野を狭めて、人生の歩む道に自ら制限をかけている"最たる例だな、と瞬間的に感じたので記事にしたいと思います。
「A」か「B」どっちがいい?の答えは、別にAかBを選ばなきゃいけないわけじゃない
その電車内のサラリーマンのやり取りは、こんな二択でした。
- 年収は400万円だけど、残業は一切ない就業
- 年収は1,000万以上だけど、かなり残業多くブラック就業
どっちがいいですか?
この二択は、その人それぞれの価値観によって結構分かれそうな問題ですよね。
「400万もらえれば生活には事足りるから、それくらい最低限の収入で定時上がりを優先したい。」という方ももちろんいるでしょうし、「いや、俺は働く時間はみっちり作ってでも金を稼ぎたい。出世したい。」という方もいますね。
ここで、ぼくは心の中でシンプルに思ったわけです。
いや、両方取ればよくない?と。どう考えても定時上がりで1,000万以上もらうのが良いでしょう。いや、定時上がりよりも残業して1,000万以上稼ぎたい!なんていう人は、よっぽど頭のネジが飛んだマゾしかいませんよ…と。
このやり取りが聞こえてきた瞬間に、もうどちらかしか選ばないという前提を勝手に自分の中で決めつけてしまっている発想がそこにはあって、めちゃくちゃもったいないと思ったんですよね。
与えられた条件の中でしか考えられない脳の習慣は早く取っ払おう
ビジネスシーンでも、生活シーンでも『答えを勝手に制限されたかのような問いかけ』って意外と多いんです。
でも、この問いかけは、あくまでも質問者の中の狭い概念とか、よく分からないその人の中だけの常識で決めつけられた聞き方っていうだけなんですよね。なにも答える側は相手の狭い世界に付き合う必要はないんです。
だって、上述の二者択一だって、定時どころか「いつ働いているかも分からない」感じで1,000万以上余裕で稼いでいる人もいるじゃないですか。
まぁ、そういう人は遊び=仕事みたいになっていて、起きてる時間は全部働いているし遊んでいる、みたいなものだったりするんですけども。でも、それって拘束されている感の問題なので、自由に過ごしてビジネスしているのと同義です。ということは、二者択一の"どちらでもない答え"が生まれますよね。できている人がいるということは、できない証明は誰にも不可能です。できるんです。
二者択一があって、その二択の中から素直に選んでいる時点で、勝手に選択肢という枠を設けて、その可能性にフタを閉めてしまっているんですよね。だからもったいないよなぁって。
もちろん、ぼくもこんなライフスタイルはまだ実現できていません。ただ、この思考プロセスってビジネスをする上ではとても重要で、その人の成長に大きく関わると思っています。
「できる」と思うことと、「勝手にできない」と思い込むことでは、未来の行動量、行動に伴う自信、何かを成し遂げるときに湧き出るバイタリティーに埋められない差が生じます。
このケースで二択で言うと、電車内で会話していた2人は「勝手にできない」と決めつけているので、自然と『年収は400万の定時上がり』か『残業しまくって年収1,000万』かどっちかを達成するためだけの行動になるでしょう。そういうものなんです。
ゼロベース思考の大切さを改めて考える
物事の枠に捉われない思考習慣の大切さを改めて感じました。
先日、起業家ブロガーのぶんたさんとお話したときに、まさにこれに近い会話をしました。
この記事の冒頭で、
最近お話した方に「ぶんたくんはゼロベースで物事を考えるよね」と言われました。正直自分自身全くそんな風には思っていなかったので嬉しかったです。
とあるのですが、この「話した方」=ぼくです。いや、もう本当にぶんたさんのゼロベース思考力はすごいものがあります。末恐ろしい21歳ですよ。
やっぱり、大小問わず自分で事業を立ち上げている人は、自覚なくゼロベース思考になっています。
「A」と「B」どっち?と聞かれたときに、どっちかで答える前提で知恵を絞るのか、それとも別の「C」というより良いベストな答えがある可能性を含めて知恵を絞るのか。
この差は本当に大きいと思います。